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4月20日という、なんでも無い日 [バイク]

こんにちは!ムロちゃんです。


今日は4月20日。

僕にとっては少し特別な日です。


2003年の今日、「加藤大治郎」が亡くなった日です。


大学に入ってバイクの免許を取り、思いがけず「サーキットデビュー」をし、スポーツライディングの虜になった僕は、ごく自然に「世界GP」に興味を持った。


2001年。

ロッシが最高峰クラス「500cc」にステップアップして2年目、最後の2st500ccチャンピオンになった年、僕はテレビに映っている1人の青年に目が釘付けだった。


当時250ccクラスに参戦していた「加藤大治郎」だ。


彼もまた、僕と同じ位の体格。

小柄な体ながら、その美しいライディングフォームと、圧倒的な速さ。

当時彼が乗っていた「NSR250」の鮮やかなブルーを基調とした「テレフォニカモビスター」カラーのマシン。

そして、それまでバイクの事を知らなかったけど、同じ日本人が世界を舞台に堂々戦っている姿。


IMG_4201.JPG


その年、彼は250ccクラスの年間最多勝記録を更新してチャンピオンになった。

もう、彼の虜である。


翌年、最高峰クラスにステップアップした彼だが、大きな試練が待っていた。

2st500ccと共に4st990ccマシンが混走する新たなクラス、「motoGP」への変換だ。


各メーカーの最新4st990ccマシンは、一部のワークスライダーにしか与えられなかった。

中でもホンダの「RC211V」とロッシの組み合わせは強力だった。

他を寄せ付けない圧倒的な速さで勝ち星を積み上げた。


そんな中、開発も止まり、明らかに戦闘力不足の「NSR500」で大治郎は奮闘した。

並居る4st990ccマシンに割って入り、表彰台にも立った。


そんな彼に、第10戦チェコGPにて、ついに「RC211V」が渡る事になる。

これには流石のロッシも焦ったそうだ。

「大治郎が同じマシンに乗る。もうマシンのアドバンテージは無い。」


ロッシはピットに帰る度、メカニックに必ず聞いたそうだ。

「大治郎は何秒だ?」

当時ヤマハのエースだったビアッジや、歴戦のライダー達では無く、「加藤大治郎」を一番意識したのだ。


結局2002年は勝利をあげる事が出来なかったが、翌年2003年は初めから同じ土俵。

さらに、チームは2001年に250ccでチャンピオンを取った時と同じ「グレシーニ・レーシング」に移籍。

メインスポンサーも、250ccでチャンピオンを取った時と同じ「テレフォニカモビスター」


IMG_4198.JPG


加藤大治郎と「RC211V」、テレフォニカモビスターの組み合わせは、否が応でも期待してしまう。

今でも最高にカッコいいライダー・マシンだと思う。


何かやってくれる。

そんな期待を胸に、今でも「心の友」と呼べる親友と、初めてのレース観戦に、開幕戦の舞台・鈴鹿サーキットに向かった。


初めてのmotoGP観戦。

そして「加藤大治郎」への期待。

様々な思いを抱いてスタートの瞬間を待った。

僕が座った席はシケイン。

そう、「あのシケイン」だ。


数十分後、彼は目の前で空を舞った。


何が起きたのか把握出来ない。

レースの結果どころではない。

騒然とするサーキット。

ドクターヘリが飛んで行くのが見えた。


何も情報が得られないまま、僕らは帰路につくしか無かった。


その日からは毎日ネット等で大治郎の容態を調べ続けた。

意識が戻らない日々が続く。

毎日が気が気では無かった。


…そして、2003年の今日。4月20日。

彼は息を引き取った。

今でも信じられない。

大治郎はきっと、その華麗なライディングで日本人初の最高峰クラスチャンピオンになってくれると信じていた。


その後もmotoGPを見ているが、ロッシが活躍する度、ペドロサ・ロレンソといった新しい才能が出てくる度、ストーナーやマルケスの様な超人が出てくる度、「大治郎が走っていたら、どうだっただろうか?」と考えてしまう。


2014年、有難い事に結婚し、新婚旅行に行く事が出来たが、妻にワガママを言って、行き先をイタリアにしてもらった。

9月に行われる「サンマリノGP」を観に行く為だ。

もちろん、通常の観光ルートからは大きく外れる。

でも行きたかった。


サンマリノGPが行われる「ミサノサーキット」の正面ゲートに続く道路の名前をご存知だろうか?

「viale daijiro kato(加藤大治郎通り)」


IMG_4199.JPG


熱狂の本場ヨーロッパGPを観る前に、少しの間手を合わせ、黙祷を捧げた。


今日は4月20日。

なんでも無い木曜日。


あれから14年が経った。



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コメント 8

まさおか

アイルトンセナが亡くなった時は、そぉなんだぁ。。。だったけど、
大治郎とノリックと永井康友が亡くなった時は泣いた(;ω;)
by まさおか (2017-04-20 22:52) 

らしゅえいむ

気持ちが伝わってきました。
by らしゅえいむ (2017-04-20 23:35) 

ムロちゃん

まさおかさん
コメントありがとうございます(^_^)
ライダーもドライバーも、アクシデントで命を落とすなんて事は無くなって欲しいですね。
しかしノリックは本当に無念。
レーシングアクシデントでもなんでも無く、トラックの交通違反が原因なんて、残念で仕方ありません…
by ムロちゃん (2017-04-21 05:53) 

ムロちゃん

らしゅえいむさん
コメントありがとうございます(^_^)
大治郎は僕が最初にファンになったライダーなので、特別な思いがあります。
さらに事故現場を生で・目の前で見てるのも、特別に思う要因だと思います。
by ムロちゃん (2017-04-21 05:57) 

miyappp

そうでしたか~
あの事故を目撃されていたのですか
それはこの日が特別な日になりますよね
あれからもう14年も経つんだなぁ
私もRC211Vの走りが見たくて
もてぎにMotoGPを観戦しに行ったことがありますが
あれは人間が操れる限界を超えているのではないか
と思うほどの速さだったという記憶があります
by miyappp (2017-04-21 19:24) 

ムロちゃん

miyapppさん
コメントありがとうございます(^_^)
そうなんです。初めてのレース観戦でした…
14年…早いですよね…
一時期、motoGPのスピードが「速すぎて危ないから」という理由で排気量が800ccに変わったはずですが、いつの間にか1000ccになりましたね(^_^;)
更に「統一ECU」の名の下に、日本企業が磨いてきた各種制御が使えなくなり、昨年・今年と転倒車が増えています。
エンターテイメントとしては、誰が勝つか分からない面白さがありますが、安全性はどうなのか…?と、思います。
by ムロちゃん (2017-04-21 21:31) 

能転気おやじ

そんな素晴らしい選手が居たんですか。
危険と隣り合わせのモータースポーツ。
皆さんの記憶と思い出に残っていること自体が、彼の偉大さを物語ってますね。
by 能転気おやじ (2017-04-21 22:36) 

ムロちゃん

能天気おやじさん
コメントありがとうございます(^_^)
加藤大治郎のゼッケン「74」はmotoGPの永久欠番になっています。
(ちなみに74の由来は彼が7月4日産まれだから)
日本では知名度の低いモータースポーツですが、欧州、特にイタリアでの彼の人気は偉大でした。
それもあって、サーキットへのメイン道路に彼の名前が付けられました。
本当に「日本人世界チャンピオン」を夢見させてくれたライダーでした。
by ムロちゃん (2017-04-21 22:45) 

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